涼宮ハルヒの憂鬱

先週も書いたとおり、個人的には「ライブアライブ」で燃え尽きてしまったので、消化試合な感じで見てしまいました。
最終話を見ても、特に意外性もなく、大人みくるの「私と仲良くしないで」発言とか閉鎖空間の意味といったピースがパタパタと事務的にはめられていく感じ。
もちろん、京アニの丁寧なお仕事は最終回といえどもかわらずそこにはあったし、シリーズ通して高い品質を保ち続けたのはすばらしいと思います。


自分なりに言い訳してみると、やっぱり構成話数をシャッフルしてしまった弊害なのではないかと思っています。
今回のメインは原作1巻の「涼宮ハルヒの憂鬱」だったわけで、シリーズを通して「憂鬱」を完結させるような構成になっていました。
それによる弊害としては2点考えられます。

  • 「憂鬱」に関して言えば、構成話の間隔が長くなるので、視聴者が考察する時間が普段より多い
  • 「憂鬱」以降の構成話が「憂鬱」完了前に放送されており、その内容に「憂鬱」のストーリーにかかわるものがある

つまり、普通に「憂鬱」を連続で放送した場合よりも「憂鬱」の結末に関するさらに多くのヒントが出されているので、原作読んでいない人でも結末を予想しやすい、といったことになるのかと。
このへんも最終話のインパクトが弱かったと思わせる一因になっていたのではと思ってます。


「憂鬱」以降も話をすでに見てしまった視聴者は、時間軸上は構成14話の「サムデイ イン ザレイン」まで進んじゃっているので「憂鬱」の話は、キョンの回想シーンか何かを見ているような感覚です。
身も蓋もない表現をすると、録り逃した放送を1クール遅れのスカパーで見ている感覚に近いかも。
あれって、なんか空しいんだよね。


と、こんなこと書いていますが、現時点で私は構成話順に作品を見直していないので、まずはそれをやるべきだったかなとちと反省してます。


最終話の絵コンテ・演出は石原監督が自ら担当されていました。
残り4話の時点で予想というか勝手に希望していた演出家の配陣はみごとに一致しました。
俺の予想は滅多にあたらないのでこの機会に大げさに喜んでみます。
いやっほぅ!
盆と正月がいっぺんに来たような気分です。