京アニの制作現場は本当に修羅場化しているのか?

上の記事を書くために、kanonを見ていて気づいたことがあったので、追加調査しました。
結局、24話全部のEDクレジットをチェックしてしまいましたよ。(疲れた)


匿名ダイアリーなどでスタジオワンパックへ動画を委託していることから、制作現場が修羅場化しているのではないかという考察を読んで、なんだか違和感を感じていました。
http://anond.hatelabo.jp/20070503233350


kanonの12話をチェックしていて、すでにこのときスタジオワンパックのクレジットが入っています。
全部のクレジットをチェックしてみたところ、kanonでスタジオワンパックへ動画発注は11〜20話、23,24話の12話分です。シリーズの半分がスタジオワンパックへ発注していることになります。
また、同じく京アニが動画発注をしているStudioBlueについては7話からはじまり、こちらは最終話までクレジットされていました。
StudioBlueは動画だけでなく、仕上げも発注されています。
ということで、動画発注が多いことは根拠としては薄いのでは?


らき☆すたは画面もシンプルだし、少なくともkanonに比べたらそれほど負荷は高くないように思えるのですが。
kanonの時の方がワンパックへの発注量が多かったみたいだし。(800枚とかあった)
背景・美術についてはそのかぎりではないと思いますが。


とはいえ、とらえ方もさまざまだとは思いますけどね。
京アニの制作現場はkanonの11話(7話?)からすでに修羅場と化していたというとらえ方もあるかもしれません。
でも、少なくともらき☆すたがはじまってから社外への動画発注が増えたというのは間違った解釈のような気がします。


最後に、今後の展開について、5話がはじまる前にどうしても書いておきたかったのですが。(ギリギリですよ)
監督交代ネタ説について、「監督交代はネタだった」というのと「監督交代をネタにした」は別問題だと思うのですよ。
私はネタ説否定派ですが、それは前者の方で、後者は普通にあると思います。むしろおいしい話題。
ネタ説の定義ってどっちを言っているんでしょうか。人によっても定義があいまいなような気がしますが、いざ監督交代ネタが出たときに、派閥間でもめなければいいのですが。
・・ってしょうもないもめ事だなぁ。どうでもいい話ですよ。(自分から振っておいて)


あとはとらえ方の問題になりますが、たとえばクレジットで「超監督山本寛」と出た場合「やっぱりネタだった」と見るのか、「あとづけでネタにした」と見るのかこれも人によって解釈が分かれそうですね。