「オタク」を放送禁止用語にしてはどうか?

2日続けたのは、この話を書きたかったためです。
私がオタクをやっててとってもつらかったお話をひとつ。


何年か前に、T大出身の先輩(女性)と1年ほど一緒に仕事をしたことがありました。
私の経験によるとT大出身者というのは、ものすごく気が利く人と、ものすごく困った人の2つに分けられるのですが、その先輩は前者で、ものすごく気が利く人でした。
ライフスタイルは自分とはまったくの正反対です。
休みの日にはダンナ(既婚でした)と一緒に表参道あたりでオカイモノしているような感じ。ディナーには年代物のワインなんかが並んでいそう。


とっても気が利くし、仕事もできる。相手を思いやる配慮ができる方なのですが、困ったことが一つだけありました。
私のことを「オタク」と言うのです。
「○○くんはオタクだからこんなの簡単かもしれないけど。」みたいな感じで。
悪気がないのです。むしろ「オタク」は誉め言葉だと思っているフシがある。
仕事しているときの会話でも普通に「オタク」という単語が出てきます。
「あそこの技術者はオタクっぽいから信頼できるよ」とか。


要するに我々の抱いている「オタク」のイメージと彼女が抱いていた「オタク」のイメージが著しく乖離していたのです。
技術的に詳しくて頼りになりそうな人のことをひとくくりに「オタク」と呼んでいました。


私もすぐにそれには気づいたのですが、悪気は無いとはいえ「オタク」といわれ続けるのは非常につらかったです。
言われている者(自分)にとっては、本質の「アニオタ」という意味が常につきまとい、コンプレックスが刺激されてそのたびに心が痛む。
「オタク」というのをやめてくれと言いたくとも、自分が「オタク」であることは事実なわけで。
このへんの心情は非常に複雑なのですが、思考実験により簡単に解明できました。


たとえば、太っている人に対して「デブ」というのは禁句。
真のオタクに対しても「オタク」というのはやっぱり禁句なのです。
「オタク」がコンプレックスであれば、他の似たようなコンプレックスを思い起こさせる単語に置き換えてみればいい。


このケースでは、言われた相手も状況が悪い。
太っている人から「デブ」と言われるのと、スタイルのよくてスレンダーな人から「デブ」と言われるのではどちらがより不快かといえば、後者。
私のケースでも、オタクっぽい相手やオタク仲間に「オタク」と言われるのはそれほど苦にならないけど、T大出身で、プライベートでも不自由していないような、オタクと正反対の立ち位置にいる人に「オタク」と言われたことで、やるせない気持ちになったと自己分析しました。
しかも、本質悪い人じゃないので不愉快でもないので気持ちが消化不良を起こしてます。


最終的には、お互いに仲がよかった後輩の女性(やっぱり既婚)にお願いして「オタク」というのをやめるように伝えてもらって一件落着。
やめてもらうのに半年くらい、なんだかモヤモヤしていました。


3日連続して、それこそこれまでに議論し尽くされてきた「オタク」について、今さら取り上げてみたのですが、私も根本的にはたとえオタク同士でも「オタク」という言葉はなるべく使うべきではないと思っています。
自分がオタクであることはまぎれもない事実として認識していますが、「自分はオタクです」とは同士相手でも言うのは抵抗あります。
もちろん、誰かに向かって「おまえはオタクだ」というのも言うべきではないと思ってます。
属性を説明するときくらいしか使わないです。「鉄オタ」とか「アイオタ」とか「アニオタ」とか。
仲間内では「オタク」よりも「マニア」という言葉をよく使います。
これ、一般にも浸透して欲しい。


パソコンオタクについては、最近は死語化しているような気がします。
パソコン使うのが当たり前になってきて、パソコン詳しい人というのは「暗い」「キモイ」という印象よりも「頭がよくて頼りになる」という印象にシフトして来ています。
なんだかカッコイイので、そういうのは「オタク」のイメージから離れているような気がします。


最近は電車の影響もあって、「オタク」のイメージに変化の兆しが見えてきましたが、まだまだ「オタク」の持つ言葉の暴力的な印象は無視できません。
「オタク」の人権を守るために一般人が誤用しないようなうまい方法ないものでしょうか。
放送禁止用語というのは大げさですが、言葉狩りをしている団体とかこういうものにもちょっと気にかけてもいいんじゃないだろうか。