「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」と「ももえサイズ」

ツバサ読みました。
実はアニメは見ていなかったので、まったくの初見。公共放送アニメ枠は変な時期に放送開始するので見逃しました。
xxxHOLiCはアニメ見ていたんですけど。


読む気になったきっかけは、床屋の待ち時間にヤンマガ読んでたら、xxxHOLiCの店主が侑子さんから四月一日に変わっておりまして。どういうことなのか気になってxxxHOLiCを一気読みしたら、ツバサも気になってこれまた一気読み。


ぶっちゃけ、xxxHOLiCはおもしろかったけど、ツバサはアレでした。20巻過ぎたあたりから訳わからなくなりました。
xxxHOLiCとツバサは対となる作品ですが、作風はxxxHOLiCは「静」でツバサは「動」。月刊誌と週刊誌の違いがなのかもしれませんが、「動」のツバサのテンポの速い展開は読者に対して説明不足な気がします。


ツバサの物語のシステムは、サクラの羽根を探しながら困ったときは侑子さんに対価を差し出して助けてもらうという流れ。
まるでドラ○もんのように侑子さんはあんな夢もこんな夢も叶えてくれます。
そんな対価と引き替えに得るものですが、得てして一瞬にして使われてしまうことが多く、かけがえのないものを対価に差し出した時なんかはなんとも切ない気持ちにさせられます。遊ぶ金に変えるために、お母さんの形見の嫁入り衣装を売り払うような切なさが炸裂してしまいます。


最後らへんは、対価を差し出し過ぎて、登場人物たちが取り返しが付かないほどボロボロな姿になっていきます。
対価を差し出すことで、以降のキャラクターの設定に制限が課されていくのですが、それが徐々に蓄積され、制限だらけのキャラクターができあがる。
この既視感はももえサイズですよ。
ももえさんは、いろんなものをカマで切ることで、その存在の肩代わりをするようにオプションが追加されていきます。それはそれで制約と言えなくもないのですが、むしろももえさんのまわりのキャラクターの状況に近い。
幼馴染みのたまちゃんやろり子とか、ももえさんに関わったばかりに対価を得ることなくいろんなものを失って、取り返しが付かない姿にさせられていきます。
登場人物の置かれた状況がツバサとももえサイズに共通点を見出してしまいました。


ももえサイズに限らず、結城心一作品には登場人物が人たらしめる部分を失い人外に変わり果てていく傾向が強いように思えるのは気のせいでしょうか。
結城心一作品が短命(最長で4巻)なのは、不条理な設定を引き継いでストーリーを続けることが足枷になって、長く話を続けられないのではないでしょうか。

サザエさんドラえもんのように、前回のお話をリセットして進めればもう少し長く続くんじゃないかと思うのですが、これまでの作品の傾向からみても、当の結城心一さんがあまりそういうの好みじゃないみたいです。


話を戻して、ツバサの方ですが、対価を差し出して制約を与えられたパーティー一同でしたが、最終的にはけっこう元通りに戻っていたようです。
記憶とか関係性とか時間とか、そういう類の対価はああいう終わり方だとありがたみが薄れてしまいますね。
サクラと小狼がたくさん出てきて、どれが誰の記憶でどの対価を誰が差し出したのか、複雑すぎ。
誰がどんな対価を与えて何を得たのかをまとめたサイトとか作ると流行ると思いますよ。
夏休みの自由研究にどうですか?